特別寄稿 和歌山にフルーツバレーを

2022年1月9日

和歌山にフルーツバレーを

 大阪で診療、教育そして研究の生活を送っていた大学病院での仕事を辞し、故郷和歌山市で地域医療に専念することになったのは、昭和44年末であった。日常診療に忙しく明け暮れているうちに、和歌山でのヒトの流れ、町なかの活気に何か淋しさを感じ始めた。それは往診の途次、繁華街への外出、駅周辺で特に感じ始めた。時にふれ、旧制和歌山中学の同窓と集まって、このことについて話し合ったものの、話がまとまらず、今後に対する良策が見つからない。しかし時が経つにつれ各界の有力な人々が集まり、和歌山の活性化のため勉強会をもとうということになり、ようやく平成14年に「和歌山バイオサイエンス懇話会」が発足した。医師である著者はバイオサイエンスの分野で何か活性化因子はないかと思い、再生医療のメッカを目指せないものかと各医療機関に相談を持ちかけたが、何の反応もなかった。勿論再生医療は京都、神戸が先端を走っている。そのうち県内外の有識者、中でも大阪商工会議所のスタッフは、本県は有力な農林水産県であり、ここに重大な任務があるという有力な意見があり、勉強会もフォーラムとして企画し、再生医療から農林面にシフトして行った。平成15年4月「和歌山バイオサイエンス連絡協議会」として陣容を整えて再編成した。

 さて、和歌山県は温暖な気候・風土と関西地区の大消費地に近いという地の利を活かし、農林水産県として順調な発展をしてきた。中でも、全国生産高一、二位を誇る梅、蜜柑、柿、桃などに代表される果実産業はまさに質量ともに日本一と言ってよい地位にある。本県は従来の鉄鋼業、化学工業、染色や繊維の面で業績があることは衆知のことであり、今後はエネルギー面、IT方面での企業の設立や誘致は、積極的に推進すべきは勿論であるが、さらに上述のように果実産業をベースにして、本県の活性化をはかるべきと考えた。しかし、近年国内外の競合産地の追い上げが厳しく、又食品に対する嗜好の変化もあり、安穏としていられない状況になってきている。当協議会は、このような状況を跳ね返すためには、高品質で機能性を兼ね備えた加工食品開発により活路を開くことが重要な課題であると考え、そのためには公的研究機関の強化充実が重要であるとして、県と協力して合目的で効率的な研究開発体制の調査研究及び先進地キーマンの紹介、講演を実施することとした。

Ⅰ.活動経過

1.フォーラムの開催

 年2回開催を定例とし、第1回から第6回までは再生医療、ゲノムの各分野の講演が行われた。第7回は、吉備町、和歌山大学のお世話で、吉備ドーム文化ホールで「バイオサイエンスinきび」と銘打ち、「紀州みかんとバイオサイエンス」を開催。和大小田章学長(当時)の司会でみかんの栽培面、医学面での基調講演とパネルディスカッションを実施。その成果から、本県のアグリバイオ面での活動の重要性が認識された(平成15年7月)。当会は医農連携分野に活動方針を転換することとした。第27回までは加工食品開発先進県の産学連携のあり方の仕組み、リーダーシップのあり方の紹介、第28回以降は食品の機能性研究の現状、食品開発、製造の実態と方向性に重点をおき、県外から演者を招いて紹介した。さらに、食品開発としての学の研究拠点の重要性から、吉備国際大学や龍谷大学の農学部創設状況と和大の農学教育の強化に対する方向の一端が披露された。

 以上の学習から当会は果実王国である県の果実関連産業の更なる発展を計るためには、県の特性を生かした6次産業化の実現が肝要であり、このために産学官民連携を従来のレベルから大きく飛躍させる必要があり、そのための仕組みとして、提唱してきた「フルーツバレー構想」の実現に拍車をかける重要性から、第39回以降、オランダのフードバレーの紹介や鹿児島県の大隅加工技術センター、第42回(平成29年10月)には北海道の「フードバレー特区」、奈良県農業研究開発センターの紹介と開発事例の成果が発表された。

2.バイオ振興検討会

 平成19年9月から、広義のアグリバイオ分野の振興による県の活性化を期して、県内のバイオサイエンス関係団体(県、和歌山社会経済研究所など)と当会が年2回協議し、具体案を話し合っている。

3.調査視察

 他都道府県の産学官連携の調査のため、当会の役員は表のように調査視察を実施した。

これらは農業系加工食品センターを独自にもち、特に行政、大学や企業に盛大な主導性があり、さらに行政と大学が協力している所は発展性と速度性をもっていた。

Ⅱ.フルーツバレー構想

以上の状況と学習をふまえ、「フルーツバレー構想」が当会内で浮かび上がった。すなわち県は果物の加工や素材の研究、技術開発などの産業、関連する食品加工機械などの食品関係の二次産業がほとんどない状態である。また果物の機能性についての研究や健康福祉との関連づけなど、三次産業に必要な情報、データの蓄積、発信も遅れている。県の生き残りは果物を中心とした一次、二次、三次産業のクラスター地域を産学官で構築することが必要で、当会は「フルーツバレー構想」として、県の産業振興策を提言し、継続することに努力することとした。そこでオランダに構築されたワーヘニンゲンUR(以下WUR)を核とした「フードバレー」をモデルケースとした(図)。

1.オランダに学ぶ

チーズやチューリップで有名なオランダは、九州と同じ面積の国であるが、実は世界第2位の農産物輸出国である。施設園芸を大規模に進めている他、ヨーロッパにおける地理的な優位性を活かした物流の中心地として特異な地位を築いている。「フードバレー」はオランダの中央部に構築した食の科学とビジネスに関する一大集積拠点である。その学の中心はオランダで唯一の農学部のあるワーヘニンゲン大学で、ここに政府の農業食品関係の研究所を合併させ、WURという組織になっている。この周辺に、世界各国から1500を超える食品関連企業や化学企業などの民間企業が集っている。この中で、様々なプロジェクトが生まれ、技術移転が進み、知の集積が起き、連携が大きな成果を生み出している。当会はこのシステムを実際に調べる必要があると考え、平成28年3月に、ミッションを送りこんだ。WURは、学生院生の数が8000人、教職員数が6000人と言う巨大組織で、農業部門の大学世界ランクは1位である。実際に社会的・経済的に役立つ研究と、産学官連携、プロジェクト研究に重点を置いて進めている。多数の基礎から応用に至る研究が進んでおり、海外からの留学生も数多く学んでいる。40フィート大型冷蔵コンテナーに温度センサーをつけて、アフリカからの花卉の輸送条件を探索する研究所などを見聞した。また、ケアファームと言う農作業を通じて軽度の認知症患者や心の病を持つ若者のケアをする施設が大学に併設されており、農福連携の一つのあり方を見た。ちなみに、オランダではこのケアファームは全国に1100箇所ある。フードバレーにはフードバレー財団と言う組織があり、ここは専ら産学官連携の推進に取り組んでいる。WUR へはその後、本県からも2名が短期留学をしてその仕組みや、進め方を学んでいるし、来年度以降も継続されると聞いている。当会は7年以上前から、本県でも産学官連携の組織として、「フルーツバレー」と言う果物を中心とした産学官連携組織の構築を目指してきた。しかしこれには産学官連携の中の産や学の部分が弱く、特に本県には農学部のないことが、大きな問題であった。WURに接して、圧倒的な差に意気消沈したといっても過言ではない。しかしオランダとて順風満帆であった訳ではない。ヨーロッパの農業は「ワインの湖、バターの山」と言われたほど、無計画で野放図な農業が行われてきた。オランダもまさにこの中にあり、酪農とジャガイモとタマネギと花の栽培の農業であった。しかし1986年EUにスペインとポルトガルが参加すると、域内に安価な農産物が流れ込む事態となり、オランダ農業は立ち行かなくなると懸念された。オランダ政府はこの事態に対して従来の農業ではなく施設園芸を行うとともに、食品加工にも力を入れる大転換を行った。巨大な温室の立ち並ぶ姿など、フードバレーの活動はまさにこれを象徴している。当時政府の諮問委員会がこのような転換を提案し、これを着実に実施してきたと聞く。ワーヘニンゲン大学も当時は、大学とは名ばかりの単に農業技術を教え、今にもつぶれそうな大学であったと評された。戦略的思考とはこのようなことを指すのである。

 本県では梅の産業が全国の農産品加工のモデルとなっている。一方で苦戦をしている農産物もあり、山椒がその例である。農家の高齢化に伴い衰退が起こっている。ここにどのような対策を取ればよいのか、戦略的に考えねばならぬ。新たな用途開発、機能性研究、やる事は山ほどある。

2.学(研究)の拠点作り

 オランダのフードバレーを模するにしても、本県は近畿地方で唯一大学に農学部のない県であり、農業、食品の研究教育の基盤がない。当会は拠点作りのため産学官に働きかけた。

(1)和歌山県工業技術センターに食品加工部設立

 他県の食品関係の公設試を調査し、本県の工技センターに食品研究部門の充実を県に提言し、食品研究室を部に昇格し、人員の増員を得た。近時人員の縮小と委託研究重視の傾向が見られたが、ラボの整備とともに今後の食品化学の研究の推進が望まれる。

(2)和歌山大学に食品科学寄附研究部門設立

 和大にこの部門の設立を働きかけ、ようやく平成26年11月から2年間と言う短期間であったが、特任教授、同助教各1名ずつで発足し、梅酢ポリフェノールの応用研究、臨床研究および山椒の基礎、応用研究の継続が緒につくこととなった。

(3)和歌山大学食農総合研究所創立

 食品化学関係の研究は2年間では充分出来るはずがないので、更に持続性をもつ施設を設置するよう大学に要望していたところ、文科省の方針と、当会と大学の要望書と交渉によってか、和大の産学連携・研究支援センターに食農総合研究所の設置が平成28年4月に文科省から認可された。ここにようやく将来、農学の研究拠点が出来、4カ年の今後への業績が待たれる。

 しかし研究所の現況は農業経済面の研究の傾向があり、農学に必要な農芸化学の分野が少なく、将来性が危ぶまれる。とはいえ短期間に、梅酢ポリフェノールの工業化検討により、抗菌作用やかぜ症候群およびインフルエンザに対する介入臨床試験の実施および山椒(和歌山県は全国生産の7割)の分析と、高血圧への応用臨床試験の実施の共同研究が継続している。研究所の維持、発展(学部への)は当事者の活動と意識に期待する。

(4)農林大学校の位置づけ

 各都府県の既存の農林大学校の充実について、文科省、農水省の意向で四年制大学又は短期大学への昇格が示唆されている。この際、本県でも学科の充実が実施されつつあるが、食品化学(加工)面での研究、実習が充当されていない。既に奈良県では「奈良県立なら食と魅力創造国際大学校」としてあらゆる学科面で充実して来ている。本県もあらゆる学科の学習研究ができる場にする必要があろう。

(5)県外農業関係施設の誘致

 県内には農業関係の優秀な研究施設が多く、優れた業績がみられる。とはいえアカデミックな基礎、応用研究の拠点がなく、このような研究は県外の大学に委託している向きもある。県内の研究拠点に上記のような発展性がなければ、県外から農学部又は果実関係研究所の誘致をしなければならない。当会はこれについても活動を始めている。

Ⅲ.まとめ

 全国一、二位の生産を誇る果実は和歌山県にとり県勢を充実、活性化のための貴重な財産である。しかし国内外の、この分野の競合が激しく、特に加工面で追い上げられている。

 そこで「フルーツバレー構想」を提言し、その核である研究拠点を確立して、行政が長中期の食品産業政策を速やかに立案し、産学官民が連携して、一つの県民運動として実現して行く必要がある。これが雇用を生み、人口増加に転じ、関西空港に近いのを利として、農学面の研究者が、将来出来るであろう国際会議場に集い、和歌山県の観光と有機的に結びつけ、県勢を再興しようではありませんか。県民は県を世界的に俯瞰しましょう。そのため当会は、今抽象でなく具象のための論議を進めるため、精鋭で方向づけをしようとしている。

 伊藤周平ら(2018).和歌山にフルーツバレーを 21世紀わかやま, 88, 8-12. 和歌山社会経済研究所

特別寄稿

Posted by hirata